だって、だってなんだもん。

愛がなくても始まるのに、愛がないと続かない

ずっと僕の宝物さ、嵐。

 

「自由になりたい。」

 

鳥籠の扉を開いて飛び立ち、自由を手にした鳥は、果たして自分の意思でまたその制限された狭い空間に戻ることを考えるだろうか。

 

活動休止の発表から約2年。どこまでも優しい嵐は、約2年という“誠意を伝えるため”“気持ちを整理するため”の期間を設けてくれた。私はこの時間をいったい有意義に過ごせていただろうか。

 

活動休止の会見でニノはこう言った。

『あまり前を向きすぎずに、向き合って2年間いきたいかなと。やっぱり前を向かれてもつらい部分ってたぶんファンの子達にはあると思うので、ちゃんとそのファンの子達の顔を見ながら、向き合いながら、僕ららしく楽しい、やっぱり嵐っていいなって思ってもらえるような2年間にしたいかなというふうに思っています。』

ずっと、楽しかった。やっぱり嵐っていいなって思った。でも、私は、活動休止という選択をした嵐と最後までしっかり向き合えなかったと思う。

 

 

「毎日どこかに、嵐がいた。」。

本当にそうだった。見ない日はなかった。嵐の番組はもちろん、報道番組、歌番組、バラエティー、ドラマ、ラジオ、CM、インスタ、TikTokTwitter、ネットニュース、街の看板、スーパーのお菓子売場、日用品売場、家電量販店、CDショップ、本屋、雑誌、郵便局、飛行機、薬局、、、、そして何より私の心のなかにずっといた。嵐は、日常に溶け込みすぎて、いて当たり前すぎる存在だった。追いかけずとも、いつでもどこかに見つけることができた。

 

 

元々辞めようと思っていた人間が半分以上いたグループだ。それが、誰も欠けることなく21年も続いたこと、国民的アイドルグループになったこと、私の大好きな人で居続けてくれたこと、憧れであり続けてくれたこと。それだけでアッパレなことだったのかもしれない。

 

グループって、当たり前だけど色んな形があるしそれぞれの特徴や特色があると思っている。

横一列に手を繋いで一歩ずつ前に進むようなグループ。様々なフォーメーションでファンを間に入れて賑やかに活動するようなグループ。おしくらまんじゅうのように輪になってお互い顔を見ずとも信頼して背と背で支え合っているようなグループ。嵐は、輪になってスクラムを組んでそれぞれが内を向いて勝手に楽しんでいるような、そんなグループだと思う。その輪の中でファンをあたたかく包んでくれて、中に入ればとびきり楽しい、外野から見たら“なんだか楽しそう”な感じ。そして嵐が嵐を見ている、「誰よりも俺ら自身が溺愛」なグループだった。

 

一旦、その組んでる腕をほどいて、手を離して、嵐を離して、離れて、「自由になりたい。」と願った大野さんはいったいどこまで行くのだろう。自由を極めたら、そのゴールは何なのだろう。

『トップになりたいって夢、絶対叶えようね。』

叶えた結果が永遠じゃないなら、トップになることなんてずっと知らなきゃ良かったのに。

・・・なんて酷いことを思ってしまったりして、そんな自分が最低すぎてまた泣いた。

 

 

はじめての深いいとおしさは、嵐。

あなたよりも大きな愛は、どこにもないんだよ。

 

 

素敵な21年、ありがとう。最高な景色をありがとう。たくさんの想い出をありがとう。広~い会場で見た嵐も、半径30cmという真近で見た嵐も、一生私の宝物の想い出です。辛いときに寄り添ってくれてありがとう。悲しいときに励ましてくれてありがとう。何もかも嫌になったとき一緒に外野に牙向いてくれてありがとう。孤独に感じたとき味方になってくれてありがとう。しんどいときに気分を上げてくれてありがとう。楽しいときにもっと楽しくさせてくれてありがとう。怖いときに勇気をくれてありがとう。嬉しいときにあったかくしてくれてありがとう。どんなときも、嵐の曲が私の支えになっていました。嵐がいつも、嵐でいてくれてありがとう。本当にありがとう。特に私の高校生時代、本当にたくさん救われました。

 

おおちゃん、鳥籠はいつでも用意しています。

待っています。

籍は事務所に置くということで、たまには、気が向いたらでいいから、ファンレターは捨てずにチラ見ぐらいでもしてほしいな。

出来れば、5人がまた5人を望んでくれますように。

 

おおちゃん、テレビや雑誌で姿を見ることがなくなるけど、どうか元気でね。潤くんも、しばらくお休みするって言ってたけど、ゆっくりして、ゆっくりして、ゆっくりしたら、またどこかで姿が見たいです。ニノや翔ちゃんや相葉くんは個人仕事が続くけど、お身体にはお気をつけて。

 

翔ちゃんの『宝箱に閉じ込めたい』という言葉を借りて、その瞬間を忘れないでいたいと思います。

 

あっ、さよならじゃないよね、また会えるから。