だって、だってなんだもん。

愛がなくても始まるのに、愛がないと続かない

愛の反対は憎しみじゃなくて無関心というあきらめなのです

内博貴が仕事復帰して早々出演したドラマ『おせん』の主題歌、そして私の大好きな歌、Microの「踊れ」という曲の一節です。





愛の反対は憎しみじゃなくて
無関心というあきらめなのです






嫌い、とか、なんだかんだ感情を持っているうちはまだ関心があるから。

嫌いともなんとも思わなくなった瞬間、無関心になった瞬間、それについて知ろうとすることもなくなる。知ろうとすることをあきらめる。






ジャニーズに詳しくない友達にジャニーズの話をするときに、

『え?キスマイ?だってあの人たち常にかっこつけてるじゃんブサイク以外ー。無理ー。』

って言われるのはまだいい。…よくはないけど(笑)。数ある男性グループのうち、キスマイがどの集団だか分かってくれていて、何かしらのリアクションがある。


私がSexyZoneが好きだよと言って、

『SexyZone?え?何人組?5人?知らないー分かんないー!』

って言われるの、虚しい。これが、無関心。嫌いも好きも、何の感情もない。










私の好みじゃない曲のリリースが続いたり、好みじゃない衣装を着ていたり、そういうのは仕方がないと思っていた。それは“好みじゃない”と感じる私の問題だったから。


でも、去年の夏、この目で見たあの姿に失望したのは、私じゃなくてあなたの問題だったんだよ。あれはあなたがいけなかったよ。



嫌いになってた。嫌いになって、雑誌もろくに見なくなって、ラジオもろくに聞かなくなって、いつの間にかそれが普通の生活のなかに馴染んで、あっこれが無関心ってことかって思った。


これ以上マイナスのイメージを膨らませたくなくて雑誌を見ないでおこうって思ったとき、ラジオを聞かないでおこうって思ったとき、なんだかんだ『どんな写真だったのかな』『今日は誰がゲストかな』『何の話をしてたかな』って考えたけど、無関心が日常になったとき、本当になにも思わなくなった。TwitterのTLで、あっ今ラジオやってるのか、ふーんあの雑誌での今回の連載担当は誰々か、ってやっと把握するぐらいになった。





愛の反対は憎しみじゃなくて無関心というあきらめなのです。








カウコンでのグループショットうちわ買ったけど、最新シングル買ったけど、残念ながら何も私の心に響かなかった。沸けなかった。

残念だ。





後ろを向いては振り返り、後ろを向いては振り返りを繰り返してたけど、きみたちが私の後ろ髪引っ張って引き寄せてくれるまでもう待たない。












混沌としたこの世界で
君と出会えた事さえ
不思議に思う通り雨
明日、天気になれ